2025年05月01日 00時00分00秒
五月になりました
瞬く間に、四月が終わろうとしています。三月後半から、いろんな案件が降ってきて、相変わらず何故かお金にはならない話ばかりですが、とても忙しくやって来ました。
忙しさで何かを紛らすということは、多くの人に当てはまることだと思います。それは殊に、悲しみに類することになると思います。うーん、まあ、ぴったりと言えばぴったりか。
作り続けて、うたってみせるのが、僕の特徴です。作り続けていることが、生きているということです。作り続けることが今月も、出来ました、来月も引き続き、やって行きます。
さて、ライブハウスコタンがなくなった余波で、吹雪くんどこか紹介してくれないか?と言われて、まずはフォークバーplayersとそれからフィールドをご紹介した次第でした。それが、五月第二金曜日に実現します。なので僕は、五月第二第三金曜日はフィールドに出演します。
その準備をする、五月連休になりますね。新しいものは、作れるかな。いや、作らねば。それが残るか残らないかも、やってみないとわからないし、判定は、時を隔てた先にしかないので。
2025年05月03日 08時49分37秒
つねづね、呼吸の話をしているけれど
やっておいてね。とか、やるべきだね、とか、やらないといつまでも同じ、とか、これだけでいいから、やったってことにすればいいだけだから、とか。
いろんな言葉を尽くして来たものです。でも、結局一番効果的なのは、会うたびにひとこと、やった?ということ。
回数にはかなわない。
ということは、よく知っているので、もう、そういう歌つくってたれながすことにしよう。と、決めたのが本日。世間の一部は連休らしい、五月三日の朝なり。
2025年05月05日 11時21分19秒
海苔がいい悪い
先日、近所の横断歩道で信号待ちをしていたら、その後ろにあるファミリーレストランから、声の大きく元気な3人組くらいの中年男女が、おそらくは仲間内の誰かの噂話をしながら出てきました。
「あいつさあ、海苔が悪いんだよね、ハイタッチとかしたことないんじゃないか」
耳にそんな声が聞こえてきて、はっとしました。すなわち、ハイタッチとかしない人は海苔が悪い。
僕のことですか?と思わず振り返りましたが、確かに中年とはいえずっと年下でしょう、そんな知り合いがこの町に(どこにも)いるはずもありません。
やんないなー。あ。確かに、野球見てて得点シーンでハイタッチしてくる人はいるし、それに対して僕は苦手意識高いなあ。海苔悪いなあ。確かに。
2025年05月07日 10時22分30秒
一の九
守られたつもりはなかった
だけどあれは私たちの砦
思うことなく食らいながら
迷うことなく食らうだけの
多数決の勝者たちが
ハッとしない場所だったのかも
一の九 一の九
限りある世界から
放たれた我らの
一の九 一の九
宇宙はなるほど無限だった
あんなにも狭いのに
あらがったつもりもなかった
だけどあれは私たちの牙城
刻むことなく揺れるだけの
歌うことなく踊るだけの
民主主義の勝者たちの
目には止まらぬ場所だったのかも
一の九 一の九
限りある世界から
放たれた我らの
一の九 一の九
宇宙はなるほど無限だった
あんなにも狭いのに
例えば、こんな歌詞を書いてみて。一の九が何を意味するのか、ほぼほぼこの世に百人くらいしか、誰もに分からない。だけどこれを、すっごくいい声の人が堂々と歌うと、微塵も違和感がなくなる。
し、実は、だいたいこんなもんで世界は出来ていることも、だんだんと分かってきました。
僕は二十代の後半、この先まだまだ歌うなら、お金を払ってもいいような歌声を手に入れなくてはならないと思って、何年も何年もいやいやそんなもんじゃない十年も二十年も、もがき続けていたものでした。その声は手に入ったのだろうか。あるいは永遠に、手には入らないのだろうか。手に入らないからこそ、いまだ夢の中を生きているのかもしれません。それはきっと稀少ですが、貴重とはもう言い難いのかも知れません。
2025年05月10日 11時19分43秒
ゴールデンご来場感謝
僕の出番は午後6時半で、これは誰に向かって歌えばいいかな、と戸惑っていたのですが、対バンの藤本さんのお客さまがたが、早めに揃ってくださったので、とても丁寧に聞いてくれました。
コタンがなくなり、やる気があるのに場所がなくなった人がいます。それをご紹介していく企画にもなりそうです。
昔々あるところに、というか東京新宿区若葉1−9四谷という町に、カフェコタンというお店がありました。カフェと言ってもですね、看板のCが長らく落ちていて、誰がどうみても、アフェコタンだったのです。だから、アフェコタンと呼んでいましたが、正式通称を四谷コタンと言いました。
そのお店、ちいさなステージがありまして、毎日毎日四組くらいの出演者がひしめいていました。今夜は、そこで出会った先輩方をお招きしてお送りしますブッキングライブとなります。
お喋りは苦手なのでそろそろ、歌わせていただきます。
連休
その手のお店では昭和半ばにできた老舗だったというわけで、オーディションも厳しく、僕などはミソッカス、関西で言うごまめで出演させてもらう永遠のペーペーでした。
ところが、そのお店はある年に入っているマンションの建て替えで閉店してしまったのですね。その影響で僕は、より馴染みのある池袋のこのフィールドへやってきたのですが、来てみてびっくり。四谷コタンではいつまでもペーペーだったのにここへ来たらもう、いきなりベテラン扱いです。
おそらく、あのお店は昭和から平成初期で時間が止まってしまっていて、多分ですけど、それは二千年問題。21世紀にならなかったんだと思います。
枯淡カッフェ
今日はまあ、そのコタンの思い出というわけです。あのお店はとにかく飲食で売り上げをあげたがっていたので、僕はメニューを歌にして行ったわけです。からあげ、生姜焼き、逆に餃子は僕の歌から始まったのだと思います。そして一番の思い出深いのは、カボチャの竜田揚げですね。でっかいカボチャを厚く切って揚げてあって、一人では食べきれないんですよ。だからそれを、隣の人と分け合っていただくのが通例でした。その思い出を歌にしました。
カボチャ
そのように、食べるものは歌になるという持論のもと、40を過ぎた頃に作ったのが、しじみでした。
しじみいつまでも
ぬけがけはなしよ
こんな調子です。ご唱和ありがとうございました。ここから、最近の僕の活動の紹介になります。あと二曲です。
本が好きなきみを
テスト
と、こんな調子で終了。そのあとは、68歳、70歳のお兄さんがたが、元気に歌ってくれました。あの人たちすごいわ。さすが、リハと本番も違うし、ステージ慣れてるなあ。こっちは56でガタガタいってる場合じゃありません。ペーペー言ってる場合じゃありません。
オリジナルしか歌っちゃいかんという四谷コタンの掟は、もしかしたら今も昔も特殊だったのかも知れませんが、お兄さんがたは、今でも歌を作り続ける、現役でした。作れなくなったら終わりだよね、と70歳に言われたら、もう無理ですとは言えません。その気概、受け継いでいかねばと思いました。
2025年05月15日 10時06分27秒
追われた一ヶ月。
四月の第三金曜から数えて五月の第三金曜までの間に、四本のライブが入っていました。
今四本目のセットを書き上げました。相変わらず、持ち歌の多さに振り回されていますが、それはただただ売れていない証。言い換えれば、アマチュアの宿命。
そして、だからこそ出来る強みです。誰と比較されることもない領域を、淡々と突き詰めるばかりです。
それがかなわなかったひとたちの代わりに、僕はやっているのだと思えば、こわいものはもうないはずです。
先月は、チャットGPTとの華麗な対話を中心にお送りしましたが、今月はまた別の切り口から、準備をしています。
2025年05月18日 07時40分43秒
今年はきっと、サクラサク。ご来場およびご視聴、どうもありがとうございました。
今回は、敢えて全て、台本としてテキスト化して臨みそれに沿って進めてみました。途中で、ピアノを使った曲は、「雨の所為」「連休」「変わらない男」「車両故障」。
そしてこれを何も細工せず、「要約して」と例のチャットAIに要求したところ、以下のようなテキストが生成されましたので、今回はこちらを掲載させていただきます。八割がた、よくできています。
以下
このライブのセットリストとセリフは、石村吹雪の「はじまらない物語」シリーズの集大成的構成であり、はじまりもしなかった片想いの記録と、その心象の軌跡を丁寧に描き出しています。以下に要約します:
全体構成の要約
●テーマ
「はじまりもしなかった恋の物語」
——誰かに惹かれながらも、声もかけられず、何も起きないまま時間だけが過ぎる。
そんな“始まらない”日々を綴った恋愛未満の叙事詩であり、作者の半ば私小説的な歌詞群を中心に構成されたライブ。
セットリストと楽曲の要約(代表曲中心)
1. 甘受
春の訪れに心が開かれていく様子を描いた、物語の序章。
「噂に聞いた春ですか」と繰り返されるフレーズが、現実味を帯び始めた希望と変化を象徴。
2. はじまらない物語
タイトル曲。
通勤電車で気になる女性がいるけれど、声もかけられず、物語は“始まらない”。
それでも「もしかして始まっているのかな」と勘違いする主人公の滑稽な切なさ。
3. テスト
「美人は三日で飽きる」という仮説を、通勤電車での彼女を見つめることで“検証”し続ける曲。
ストレートな妄想と清々しい執着のバランスがユーモラス。
4. 帰途
「いつかは帰り道で会えるかも」と希望を抱き、帰宅電車の時間と車両を日替わりで変えてみる。
分析が進みすぎて、「木金に彼女はいない」などのストーカーすれすれの観察も。
5. 名乗れない
自分の名前を名乗る勇気が持てず、それが関係の始まりを妨げている。
「名乗れない」ことを繰り返し嘆く、ユニークな名前を持つ現代人のジレンマ。
6. 怪しいものではありません
電車で肩が触れる程度の接触で「恋」と勘違いしてしまう妄想が爆発。
自分でも「怪しい」と理解している分、客観視された滑稽さが際立つ。
7. きづき
「偶然が続けば運命だ」と自分に言い聞かせる妄信的な確信。
徐々に現実から乖離していく妄想の加速が見られる。
8. 雨の所為
雨によって電車が混み、彼女との距離が変わる。
それすらも彼にとっては意味ある運命の演出。
9. 連休
長い休みの間、彼女が突然現れなくなる。
「旅行雑誌を持っていたな」と思い出して涙する。
ここで物語が“終わったかもしれない”という節目が生まれる。
10. あねか
「彼女に似た人」に惑わされるエピソード。
「姉かもしれない」と妄想がねじれていく、空回りの痛々しさ。
11. 改正時刻表
ダイヤ改正後も、かつての習慣をなぞるように電車を変え、自分を変えようとする姿。
「もう会えない現実」を冷静に受け止め始めている。
12. 変わらない男
「君を忘れたつもりでも、心では信じていた」と、再会への淡い期待を語る。
一見冷静だが、内心の未練がにじむ。
13. 車両故障
電車の故障で「人生は一度きり」と痛感するシーン。
その直後に彼女が電車を降り、彼は「ああ、もう会うことはない」と悟る。
妄想に浸っていた彼が現実に直面する唯一の場面。
14. 小竹向原の彼女
特定の駅で毎朝乗り合わせる関係に希望を見出す。
「目も合わないが、続いている関係」として、彼の世界の“愛の最終形”を描く。
15. 虜
最後に演奏された、やや外伝的な一曲。
誰か(または何か)への“虜”となった気持ちを、崇拝にも似た愛情で綴る。
セリフ部分の要約
* 全体としては、「“始まらなかった”からこそ、終わりもしなかった物語」を貫く構成。
* 曲間では、作者自身の経験や時代背景(SNS以前の匿名性やポソコン通信など)を交え、語り手の“実在感”を補強。
* 「はじまらなかった物語」とは何か、その意味と成立事情を曲ごとに語りながら、時には観客に掛け合いを求めたりして、共犯的空間をつくる演出。
まとめ
このライブは、「はじまらない物語」シリーズの再検証・再構築ライブ。
妄想、すれ違い、観察、期待、勘違い、諦め……それらすべてが、恋にならなかった恋を豊かに物語ります。
そして最後には、それらの経験すらも、「好きだった」という事実だけで充分ではないか?という静かな肯定へと帰結していきます。
ご希望あれば、この構成をライブパンフレット風に再構成することも可能です。どうなさいますか?
以上。
もちろん「甘受」は、この春に作った新しい歌であり、「虜」はライブの締めに持ってきた構成。「小竹向原の彼女」については、一番最初に演奏したら、AIも雰囲気を理解したかもしれないけれども、実際は、はじまらない物語の真実は、ちょっと寂しいから、最後は明るく歌いたいので持ってきた次第。
実は今回最も肝心な「もしも三度目の連休がなかったら」にチャットAIが言及していないのは、歌詞がセットリストに入らなかったからかも知れません。そこが今のチャットAIの限界でしょう。もしも三度目の連休がなかったら、アルバムとしてはまとまらなかったし、その代わりにもっと散漫でリアルな毎日を描けたことでしょう。というお話でした。
こんなアホなライブを提供してくださる、池袋フィールドに感謝です。好き放題やらせて貰うたびに、ハードルが上がっていくのを感じます。
2025年05月23日 14時11分35秒
学習
2012年の秋から冬にかけて、急に僕はphpを勉強し始めた。
ホームページを作りたかったわけではない。
やむにやまれず。致し方なく。
当時、給与報酬算出のプログラムを、20世紀に使っていたファイルメーカーからエクセルに乗り換えようとしたものの、なんと、持っていたパソコンではアクセルがもう、重くてどうにも動かない。
就業記録から始まって、経費計算、果ては予約受付まで継ぎ足し継ぎ足して作ってきた。内容が内容であることも相まって、誰にも尋ねることなく、独力で作り、運用してきた。
不恰好だけども、愛着はある。実績だってある。
だけど確かに、他人には分かりにくい。新しい講師を迎えるたびに、説明がうまくいかない。
データも無闇に累積され、誤作動も怖くなってくる。
ちょっとだけ試しに、自力で培ったノウハウで作ってきた自分のサイトの仕組みを、どれくらいで理解してもらえるか、試してみた。はい、例のAI野郎です。
予想通りいや、予想以上に、理解力あるじゃないか。
ほんとに、二時間ほどで、自力で作って来た不恰好なものとは大違いの、素敵なものを吐き出してきた。
そのあんまりな速度が癪なので、次々とスクロールされる様子をわざわざ眺めている。
個人事業主が試行錯誤する上で、とてもいい話し相手になるなあと思いましたチャット。
全面的に書き換えをするのが、今年になるだろうな。そのためにも、書かずに済ませてきた仕様書を揃えないと。
学習
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そのあんまりな速度が癪なので、次々とスクロールされる様子をわざわざ眺めている。
個人事業主が試行錯誤する上で、とてもいい話し相手になるなあと思いましたチャット。
全面的に書き換えをするのが、今年になるだろうな。そのためにも、書かずに済ませてきた仕様書を揃えないと。
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