七月になりました。
まさに駆け抜けた感じです。めでたくお仕事には追い立てられた感があり、創作は、作り続け駆け抜けました。そうして月末だ、金繰りだ、無料振込回数は五回だぞ、といつもの事務処理を始めて、気がつきました。七月です。
2020年を振り返ってみます。いわゆるコロナ禍でした。フィールドのライブは4月5月がお休みになり、6月再開に向けてお店は現在の配信カメラシステムを作り上げたものの、無観客配信が続きます。僕自身もツイキャスで遊ぶようになった年でした。
その中でこっそりとオープンマイクに出かけるようになりました。神楽坂マッシュレコードです。人見知り全開で行ったため、後日お店を訪ねてマスターと神楽坂のなんとかカフェで、私これこれこういう者なのです、というお話をしました。とても器の大きな素敵なマスターで、忘年会を2年続けて開催したり、レッスン場所として使わせてもらったりしました。その後は時々ライブ会場として借りたり、お昼休みに立ち寄って一緒にお弁当を食べたりという関係ができました。そんな神楽坂マッシュレコードも年内立ち退き。四谷コタンと同じですね。
同じく2020年8月、実は高田馬場の四谷天窓にも出演オーディションのために連絡を取ったのでした。しかし資料を送った途端、天窓グループは一斉に閉じてしまったのですね。その後、豪華すぎて立ち入ることのなかった「神楽坂THEGLEE」が、2024年6月末に閉店。グランドピアノの生音の響きが素晴らしいこの地下の物件(Geminiの記述)を引き継ぐ「天窓復活プロジェクト」を偶然2024年12月に発見した僕は、早速、クラウドファンディングに参加していたのでした。その資金は、すでにジリ貧に転じて久しかった僕は、しろくま図書委員会のアルバム売上から捻出しました。だから現在、「しろくま図書委員会」と刻印されたアクリルゴールドプレートがその入り口にはあるのです。がしかしですよ、オープンしてびっくり、格が高すぎて(チャージ高すぎ)、みに行くこともできなかったのです。もちろん出演をするつもりだったもののこりゃまた結局、無駄な出費をしてしまったなあと思ってしまったものでした。また、その時期こちらもコタンが急になくなったりしてバタバタしていた時期なので気にする余裕もなかったのですが。ま、いいか、僕は行ったことなかったけど。みんな天窓好きだもんなと、諦めていました。
なのでつまりそのプレートを見たのは、オープンして一年以上たった今年の3月、オープンマイクに出向いた時なのです。感動的でしたねえ。何故か正面位置に貼ってあるし。偶然ですがプレートの隣には、四半世紀前の生徒の名前もあるのです。完全な無縁とは思えません。それを経てのこの6月末、ついに天窓に出演が叶いました。長かったねえ。出演者皆さん気合い入ってるからさあ、満席だよたまげたよ月曜日だってのに。あ、そうだこの出演のお誘いはそもそも5月だったのに、4月にオープンマイクに出向いて5月にワンマンをやることになった音倉との兼ね合いで。一度お断りして順延の6月だったのでした。
といった積年の思いが詰まった4月5月6月が、流れ去りました。ああ、駆け抜けたなあ。ここでようやくひと息。アルバムを作りたい。今月はまた録音を進めていくことになるのかな。オープンマイクに出てみるごとに、お声をかけていただけるくらいにはなったのかな。いや待て、周りを見てみろ僕らのキャリアでオープンマイクなんか出かけるもんじゃないぞという心の声もありますけれども。時々、真面目で一生懸命の人に出会えるから、それでいいのです。
あらためて調べてみれば四谷天窓は2001年、四谷コタンからもすぐそばの新宿通り沿いに出来ましてね、僕はちょうどその頃ようやく四谷コタンのトリを勝ち取っていた時期なので、当然気にはなっていましたが四谷天窓には敢えて立ち寄らないようにしていたのです。コタンの木村さん嫌な顔するだろうしね。
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