日日是策案日記

2025/01/19 12:00:00

きみの知らないうた、ご来場或いはご視聴、まことにありがとうございました。

2025年が明けました。あけるなり、しろくま図書委員会の予定していたコタンの代替のハコの手配をするという面倒に追われ、準備が不十分になったものの、結果それをダシにセットリストが組めました。

歌ってみるほどに当時のことを思い出すし、今いづこの当時のお客さんがたの顔が、浮かんでは消えていました。なつかしかったなあ、カボチャ。

新しい年が始まるのだから、それを表明するような曲でなければならない、セットリストでなければならない、という堅苦しい考えになりがちな性格です。しかし、それこそが自由の足枷になっているようです。

本来、僕らの立場は自由で、セットリストだって臨機応変随時更新現況優先であるべきとも言えるのです。だけどアマチュアが故に結局のところ、楽曲クオリティは不揃いです。どれを選んでもオッケーとはならないだろと、そこがさらに、自由になれないところです。

難しいなと思う一方で、曲を揃えて古ーい歌を歌ってみたら、元気になっている自分がいました。もう、あの頃のように闇雲に何度も何度も繰り返し練習する体力がなくなっていることを自覚しながらも、気分的にはあの頃の元気を取り戻せるのだから、これまた幸せ者ですよね。

そんな、幸せ者をみにまた、来てください。と言うべきですよね。なかなか稀な存在だと思います。
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2025/01/17 20:30:26

それで今月の選曲をしているうちに

思い立ったのは、四谷コタン時代の歌たちを歌おうということでした。

何度も書いて来たことですが、四谷コタンという、誰が見ても古めかしい喫茶店崩れのライブハウスに首を突っ込んだのがきっかけで、僕の人生はヘンテコな方角へ転がって行きました。

出演ノルマを払ってあの1平米程度のステージから、オリジナル曲だけの世界を完成する。その上、毎月店長は容赦なくお客さんを連れてこいというんです。いや、連れて来たって、あの昭和の遺物みたいな暗くてタバコ臭いお店、一度来たらもう来ない人がほとんどでしたから、苦行ですよ。それでも、厳しいオーディションを経て出始めた手前、中途半端はしたくないもの。という誇りはありました。

とはいえ、先輩方に比べたら、今振り返れば僕などはど素人もいいところからのスタート。だから僕の二十代から三十代、完全にあの場所は生活の中心でした。だって、会社辞めちゃうほどだもの。毎月のライブの準備ができなくなるような仕事をしていたら、足を運んでくれる皆さんに申し訳ないから。

そう。運のいいことに足を運んでくださるお客さんにめぐまれて、毎月毎月、苦しくとも充実した愉快な日々でした。だから僕にとっては、ビルの建て替えによる立ち退きを機に、あの店の歴史は未練なく2016年で終わっていたのでした。

だからね、僕の場合は移転した先のお店がこの期に及んで閉店したからと言って特別な感慨はないのです。しかし悪いことは、四谷コタンにあった思い出深い調度品です。ガラスの天板越しに、いろんな先輩方の作品が飾ってあったり、企画として装飾品が展示販売されていたりした、ボロボロの素敵なテーブルが性懲りもなく運び込まれて移転先のお店にまだ残っていたのです。それがまるで、まだ生き霊が憑いているように思えました。

僕はあのテーブルに何度頬杖ついて、悔し涙して来たことか。そこをテレビ東京に映されて、ふぶきくんテレビ出てたね、なんてニヤニヤ笑う電話をもらったこともありました。このところ二年間、若い経営者のなんらかの足しになればいいなと、毎月足を運ぶたびこっそり思い出していたのは、その記憶でした。
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2025/01/15 07:00:34

あと一曲は何だ

西池袋軽音楽部、今シリーズ最後の企画で、山石さんの曲、僕の曲、お互い3つずつ歌いあうことになっています。

実のところ年末までには、あれとあれとあれ、と決まっていて、僕はその三曲の資料を作る予定だったのだけれど、コタン夜逃げ事件によってドタバタになり、遅れてしまいました。

さていざ、資料を作ろうかと思ったらなんと、二曲目までは思い出せるのに、もう一つがどうしても思い出せません。

山石さんからは確かステージ上で、生姜焼きやしじみは固辞されました。そこで、しからば何ならば歌ってもらえるんだろうかと、改めて考えてみたところ、まーったく思い出せません。

こういう客観性の欠落が、僕の悪いところであり、良いところ。
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2025/01/10 06:37:19

2005年、気がつけば僕は四谷コタンのトリを務める者の一人になっていました。

確かその年、四谷コタンの入っていた金峰ビルの建て替え、それに伴う店の立ち退きの話がわいていました。その時は純粋に、お世話になったかのお店に感謝を込めて、夏以後六ヶ月間、新曲五曲のノルマを自分に課してみました。結局、その年の立ち退きの話は流れましたが、僕は店がなくなるつもりでいましたから、予定通りに翌年、赤阪グラフィティに移りました。

2013年に辞めていた毎月のライブを再開するに当たっては、初心に帰るべく四谷コタンに戻りました。しかし2016年の今頃、再度立ち退きの話がわきました。

理由はわかりませんが、何月まで確かに営業するのかわからなかったようです。こっちは準備をして臨み、それを観にくる人がいるのだから当然、それがはっきり言えないようなお店ではもう歌えないという気持ちがありました。

なので3月をもって僕は去り、池袋へ向かいました。結局四谷コタンは4月までは営業できたようですが、一度告知したライブがどんな理由でも中止になるのは、当時本当にいやだったのです(コロナ禍以後、慣れてしまいましたが)。2ヶ月先のブッキングを決めるのが通例でしたから、あの時3月で去った僕の判断で、良かったと思っています。

あれから10年近く経ちましたが、責任者は変われど、コタンは僕が以前一度恐れて避けたことをやらかしたわけです。笑っちゃった。
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2025/01/08 10:37:25

読むボイトレ

という言葉を思い浮かべました。検索すると、既にそんなものは沢山あります。それはそうです、検索語句として、検索キーワードとしての文字列に意味を持たせれば、読むボイトレ、になりましょう。

しかし、内容はハウツーになり、結局ランディングページになりがちです。

そうじゃないんです。ボイトレって言葉を使うから、誤解されるのです。とは言え今のところ、その言葉以外にしっくりと概念に対応できる言葉がないだけです。

お仕事をしなくては。
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2025/01/04 09:06:23

僕の仕事はボイストレイナーです。

特徴は、人よりうたが得意だったわけでもなく、子どもの頃から声がでかかったわけでもなく、おまけに、人に何かを教えるよりも、一人で黙々と調べごとをしている方が向いている性質であることです。

何年かに一度、文を書くのが向いていると言われます。

今年はまず、いろいろ書き散らかそうと思います。書く練習には、なるでしょうし、自分が思うよりもそれが奏功することでしょう。
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2025/01/01 00:00:00

一月になりました

つまり、新年ということです。
本年もよろしくお願い申し上げます。


個人的には喪中になりますが、葉書の高騰で全国的に年賀状も減るのでしょうね。

ひとつ歌を書いたけれど歌いそびれたものがありました。というか、まだちゃんと歌えていなかっただけなのですが。ギターも数々売っちまって、今自宅に生ギターがないので歌えないなあ、と思ってみたところで、やっぱりギターがないと歌えないのだなあと気がつく、年の瀬に書いております。


年末に来た生徒さんに、先生の今年の漢字は何ですか?と問われて即答したのは、巡、でした。ぐるっと回って1からスタート。という意味でもあり、ぐるっとめぐって辿り着いたご縁、という意味でもあります。

なので本年は、また一からあるいはゼロから始まる何か、になります。早速、今日から始めることがあるのですが、安定したらここにも書いてみます。

そしてそんなことより何より、この年もみなさんと元気に歳をとっていけたらいいなと願っています。
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